小学生に ”さん” 付で呼ぶことを強要することに対する違和感

私には小学生の姪がいるのだが、友達のことを話す時に常に「○○さんはね・・・」と敬称で言っていることに多少なりとも違和感があった。

そんな中、今の学校現場では子供に友達同士で呼び合うときに”さん”付けて呼ばせるように強要していることを知ったのだ。

主な理由としては、いじめをなくすためだと言う。そして、あだ名で呼び合うのは禁止だとのこと。あだ名で呼び合うことがいじめを誘発するからダメなのだと言う・・・

何とも短絡的な発想というか、そもそもそれは間違った教育だと私は言いたいほどだ。果たして、今の小学生の親を含む大人たちはどう思っているのだろうか。疑問に思うところだ。

もし私自身が小学生で、同級生同士、中の良い友達同士を○○さんなどと呼んでいたらとても変な感じがする。

男子だったら”くん”、女子だったら”さん”がせいぜい普通だと思う。女子に対しては”ちゃん”で読んだって自然だと思う。

そもそも、”さん”は敬称と言う意味合いが強いはずだ。だから友達同士で”さん”は使わないにしても、目上の人や大人に対しては”さん”を付けて呼ぶものだ。そうやって使い分けることに意味があるはずで、小学生くらいの子供たちにはそういったことを学ばせる機会を与えるのが教育だと思う。

”さん”付けはあくまで相手に敬意を表す呼び方として意味があるのだと思う。だったら、子供同士で敬意を表した呼び方をしていればよいではないかと主張する変な先生がいるのかもしれないが、ではもし友達同士を”さん”付で呼び合っている子供が大人に”さん”付で呼んだ時にどれほどに違いができるのだろうかと思う。中の良い友達同士でも”さん”で呼び、目上の人に対しても同様に”さん”で呼ぶ。この時、元々日本語の中にあった敬称の ”さん” の意味合いはなくなってしまうと思う。

そもそも、丁寧語、尊敬語、謙譲語 と言うものを小学生高学年にもなれば国語で習うはずだ。こういった自分と相手との立場の違いや状況によって使い分けができる言葉が日本語であり、日本語の良さであるはずなのに、”さん” だけはいじめをなくすことを理由に使い分けないようにしようと今の学校では教えているわけだ。

無垢な子供たちに”さん”付けを強要すればそれはそれで子供達には自然なことになることだろう。しかし、果たして子供たちが学んで成長していく段階でそんなことをさせていて良いのかと思う。もし、”さん”付を強要させる理由があくまで相手に敬意を払うことを目的にしているのであればまだ私は納得できる。ただどうにも納得できないのが、その理由があだ名を禁止していじめをなくすためだと言う点だ。

そもそも、あだ名を禁止して”さん”付で呼べばいじめはなくなるのか(減るのか)? 確かに、酷いあだ名で呼ばれてからかわれる子供は減って多少は効果があるかもしれない。

でも、冒頭でも違和感があると言ったように、子供にとって必要な大切なものが失われると思うのだ。あだ名を使うことの良さだとか、そのことによって生まれる親しみやすい距離感だとか、何よりも子供たちから学ばせる機会を奪ってしまうことになると思う。それくらい、”さん”付の強要は問題をはらんでいると私は思う。

私は教育者でも何でもないが、素直に私の子供時代などと照らし合わせてそう思うだけだ。

”あだ名” は良いものではないだろうか

今の大人たちは特に子供のころ使われたあだ名(ニックネーム)に誰しもが思い出があるのではないだろうか。もしかしたら、いじめられていた人にとっては思い出したくないあだ名があるかもしれない。

しかし、大多数の人にはあだ名にまつわる思い出があるはずだ。実は私自身はあまりあだ名で呼ばれなかった方だが、覚えているあだ名はどれも愛嬌があり親しみを持って自然に使われていたものばかりだ。先生だって当時は禁止させるどころか時には生徒に合わせて笑顔であだ名を使うこともあったものだ。もちろんそれがいじめにつながるようなあだ名であれば使うはずもないが、呼ばれる方にも呼ぶ方にも認められた親しみがこもったあだ名ならそれが名前よりも優先することがあったのだ。

あだ名で呼ぶことでより親しみが持てたし、あだ名を作ること自体にも楽しみがあったのだと思う。私が覚えている中にはあだ名メーカーともいえる友達が一人いた。振り返ってみると何とも巧妙にあだ名を作っていたのものだとも思う。大人になって20年ぶりにでも再会すれば親しみを込めてあだ名で呼ぶことだってできよう。

ところが、今の小学生を見ると残念ながらそんな思い出は持てないようだ。そのあたりが寂しいと思う。そもそも、大人同士はお互いをあだ名で呼び合うのは幼稚で変だ。しかし、遊び心旺盛で文字通りまだ子供で好奇心旺盛な子供たちにこそあだ名で呼び合う特権があり、より友達同士仲良くなるための道具ともなるものだと思う。そんな子供だというのに、呼び方だけ友達同士”さん”付とは何とも寂しいものだ。

最近”ちびまるこちゃん”の作者さくらももこさんが亡くなられた。主人公の”まるこ”は名前ではない。小さくて丸い子だったから、”まるこ”になって、親しい友達には”まるちゃん”と呼ばれていたのだ。

仲良しに”たまちゃん”がいる。”まるちゃん””たまちゃん”とお互い自然に呼び合っていて子供らしい仲の良さが伝わってくる。

”たまえさん””ももこさん”と呼んでいては不自然だろう。まして、”はまじ”に対して”はまじさん”、みぎわさんはいいとしても、丸尾くんを丸尾さんでは全く違った人間関係になるように思う。

もう一つアニメで例を挙げると、ドラゴンボールと言うアニメがある。その中でフリーザは ”ザーボンさん” ”ドドリアさん” と部下であるにもかかわらず敬称で呼んでいる。今の学校教育にとってはフリーザの言葉遣いはお手本なのだろう。しかし、フリーザが使う”さん”にはどれほどの意味があるだろうか。少なくともいじめがなくなるとは言えない。

対照的にベジータは悟空のことを一度たりとも正式な名前で呼んだことはないだろう。常に”カカロット”だ。ところが2人はやがて互いに尊敬しあい揺るぎない信頼関係を築き上げていく。実際丁寧語の点ではベジータよりはるかに悟空の方が酷い。悟空などは一度たりとも目上の相手に対して敬語など使ったことはないだろう。ベジータでさえかしこまって敬語を使う場面はあった。悟空はと言えば、”神様”に対しては、神様=名前そのもので、”神様”とは言っているが、時には神様に対しても、”じっちゃん”だ。にもかかわらず一番愛されているキャラだ。

しかし、そんな礼儀作法無しの悟空なのに2対1で相手と戦うような状況になると。「ちょっと待てよ、これじゃあいじめになっちまう。」と言って、一人の相手に対してはあくまで1人で闘う姿勢を示す。

アニメの話なんだが大いにヒントがあると思う。結局悟空のように丁寧な言葉や敬語などなくても、いじめはダメだと分かること(学ぶこと)、教えることが重要なんだと思う。

こう考えると、はっきり言って今の小学校で強要している”さん”付などはアニメのドラゴンボールから学んでほしいくらいに思うのだ。今の学校現場で起きている”さん”付けはどちらかと言うとフリーザの”さん”付けの方だ。もちろん威圧的な面はないとしても、もし子供が怒りながらも友達に対して”さん”付けしていたら、それは「ザーボンさんこれが最後のチャンスですからね。」とフリーザが言うのと同じだろう。びまるこちゃんやドラゴンボールの世界から学ぶべきだろう。

学ぶ機会を与えることが重要

あだ名には良いものと悪いものがある。仲の良い子供たちの間で自然に浸透していくあだ名などはほとんどが良いものばかりだろう。あだ名を使うことで、子供たちをより子供たちらしくして、より親しみを持った関係が生まれることだろう。先ほども言ったようにそれは何も子供の時だけではない、大人になってからだってあだ名があったことに対する愛着を感じることもできるだろう。

一方で使ってはいけないあだ名は当然ある。いじめに直結するようなあだ名は当然ダメだ。

私が高校に入学したころに、ある友達が「あいつのあだ名ひどいんだよな。ライアーっていうんだぜ。意味知ってる?」と言ってその友達の友達のあだ名について笑いながら話しかけてきたのだ。私はライアーの意味が分からなかったのでそう答えると。英語の意味で”嘘つき”と言うわけだ。「これ、あだ名じゃないよなぁ」と苦笑いしながら続ける友達。意味が分かってしまえば確かにあだ名ではない・・

意味が分からなければ音だけでは差し障りないかもしれないが、意味が嘘つきならその時点で使ってはいけないあだ名だろう。そう呼ばれていた本人が誰なのか、またどう思っていたのか今でも知らないので、それ以上何も言うことはないのだが・・・

大切なことはあだ名としてふさわしくないものは使ってはいけないいうことを徹底させることこそ本来すべきことだと思う。高校生ともなればそのあたりの分別も付いてくるだろうから問題はそれほどない思うのだが、問題は小中学生くらいの年代だろう。

そのくらいの年齢の子供たちに、そんなあだ名は使ってはいけませんと教えるのが先生の役割の一つだと思う。また、子供たち同士であだ名の良し悪しについて考えさせる機会を与えることこそ教育になると思う。

さらに言うと、どんなあだ名が悪くてどんなあだ名が良いのかということに関してだが、これは厳密に分けることはできない。

例えば、ある子供が”ブタ子”とか”デビル”とか言われていたらそれは明らかに、使うのを止めなさいと言われるべきものだろう。

ところが、あだ名そのものを聞いただけでは悪いともよいともわからないものはある。例えば私が子供時代に”イモ”とあだ名を命名されて常に友達間で呼ばれていた人がいた。しかし、本人は何も気にすることなく、それを良しとして受け入れていたのだ。そう呼ぶ周囲も何の悪意もなく愛着を込めてい読んでいたので、呼ばれる本人の価値を高めていたようにも思えるのだ。そういうあだ名もあると言うことだ。担任の先生までもその”イモ”という呼び名が愛されていることに感心して笑っていたことを覚えている。子供は常に遊び心がある。だから、あだ名だっていろいろと出てくるものだ。私の時代にあだ名が禁止されていたらさぞかしつまらなかっただろうと思う。

先生の立場からすれば、”さん”付けに統制させとけば楽なんだろう。いちいちそのあだ名は良くないよなどと諭す必要もなくなる。仮にあだ名を使っている子供がいたら、あだ名はダメだ、さん付けにしなさいと言えばそれで事は終わる。この辺りは教員の役割の放棄だとさえ言えるとも思う。しかし、教員の怠慢で済めばまだいいが、問題は子供たちの成長にいい影響なんて全くないと思えることだ。

こんなバカげた教育は変えられないのかなあとつくづく思う。

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