謎のウガンダ人と自転車ロード界のドーピング事情

1997年のことだった。私は名古屋近郊の町で何かの用事があってロードバイクに乗って街を走っていた時に、交差点かどこかで黒人の男に声を掛けられた。時期的には5月か6月頃ではないかと思う。

一見してアフリカ人だろうと思われるその男は日本のありふれた服とは違う、いかにも外国っぽい服装で褐色の肌に合った感じの柄の服をまといなかなか様になっていた。年齢は20代後半から30代前半のように思えた。まだ携帯電話が普及し始めのころで、Tuka(ツーカーセルラー東海)とかIDO(イドー)などのキャリアがあった時代だ。その男は手に分厚い手帳を持っていたのを覚えている。

彼は私が乗っていたロードバイクを見て声を掛けたのだった。ロードバイクが好きらしくて、ちょっとした会話が始まった。

彼も私もツールドフランスに興味があって話題はインデュラインになった。彼は実際にインデュラインがツールドフランスのタイムトライアルを走るのを目の前で見たことがあると言い、その速さは尋常ではなかったとのこと。

ただ私が驚いたのは、彼曰く、「インデュラインはドーピングをしていないにもかかわらず圧倒的に強い。他の選手はみんなドーピングをしているのに。」と言っていたことだった。とにかく、このアフリカ人にとっては、薬物を使っていないのにあんなとんでもない強さを発揮できるインデュラインというのは信じられないほど凄いことらしい。彼は本当にその点を興奮気味に話していた。

1997年と言うとうとインデュラインが引退した年だった。1996年ツールドフランス6連覇に挑んだが敗北。プロ選手が出ることが可能になった8月のアトランタオリンピック個人タイムトライアルで金メダルを取ったが、9月のヴエルタを途中棄権して、バネストとの契約満了を待って1997年1月早々に引退を発表したのだった。

私がこの男と会ったのはインデュラインが引退して半年後くらいのことだ。

なるほど彼が言うように薬物を使わなくてもインディラインは圧倒的に強いのだ。納得できることだったが、他の選手は皆ドーピングしていると言う彼の言葉は本当なのだろうかとも思ったと思う。それになぜこのアフリカ人がそんなことまで知っているのだろうかとも思った。

お互い英語で話していたのだが、流ちょうに話せるレベルではなかったので詳しい話にはならなかった思う。

しかし、翌年の1998年はドーピングで大騒ぎする年となった。パンターニがツールに勝ってジロとのダブルツールを成し遂げるのだが、ツール期間中にフェスティナチームがドーピングによりチームごと追放されたり、ツールのコース途上で選手が集団で走行をボイコットするなどドーピングに荒れた年となった。(クリストフ・バッソンについての話を参照)

あのアフリカ人はウガンダ人だと言っていた。実際あのウガンダ人が言っていた通り1998年のツールドフランスを走っていた選手のほとんどがドーピングをしていたことが後に判明する。なぜあのウガンダ人はそこまで知っていたのかは謎だが、ツールはドーピングに汚染されていた。

1998年のドーピング問題に終止符を打つべく翌1999年にツールは再スタートしたはずだったが、現実は全く変わらなかったどころかさらに悪質になった。99年から2005年までアームストロングと言うドーピングの王者が出てきた・・・しかも金で他の選手やチームを買うと言うほどに・・

1996年インデュラインが敗北したツールで勝ったビャルネ・リースも後に告白する。1993年から禁止薬物エポを使用していたと。ドーピングもトレーニングの一部だと思っていたと・・・

ドーピング問題が表面化した1998年ころから私はツールドフランスにはあまり興味がなくなった。ドーピングして勝ってもお金は得られても誇りは得られないはずだ。みんながドーピングをすれば同じじゃないかと言えば、そもそもスポーツの根本が崩壊する。最も過酷なスポーツであるツールドフランスに正々堂々と挑戦する姿が一番の魅力だったはずなのに、薬物に頼るようではそもそもツールドフランスは違うものになる。

偶然出会ったあのウガンダ人はプロ自転車界のドーピング問題をよく知っていた。そして、インデュラインはクリーンなチャンピオンだったことも分かった。おそらくインデュラインが最後のクリーンなチャンピオンなんだろう。

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