混血が進む日本人アスリートを通して考える

最近の日本のスポーツ界を見ると、いろいろなスポーツにおいてアスリートの混血が進んでいるなあと思う。例えば陸上競技を見てもそうだと思う。

最近の陸上競技見てみると、例えば100m走では9秒99を出したサニブラウン・ハキーム選手はガーナ人の父と日本人の母を持つ。同じく10秒08のケンブリッジ・飛鳥選手や400mで45秒35の記録を持つウォルシュ・ジュリアン選手は共にジャマイカ人の父と日本人の母を持つ。

テニス界では大坂なおみ選手がシングルス世界ランキングで1位になった。彼女もアメリカ人の父を持つ選手だ。体格的に劣る日本人選手の中にあって身長180㎝は男子の錦織選手よりも背が高い。

やはり身体能力的に高いアフリカにルーツがある血を引く選手は必然的に競技能力が上がるだろうことは事実だと思う。

10年ほど前であれば混血の選手としてはハンマー投げの室伏選手を思い出す。妹の由香選手も円盤投げで確か日本記録を持っていたと思う。ハーフの陸上選手と言うとそれくらいしか思い浮かばない。ただ室伏選手の場合は父親が元ハンマー投げの日本記録保持者であるし、母親も投擲競技でルーマニアの代表選手だったから、混血以上に遺伝的な要素もあったのだろうと思う。もちろん血のにじむようなトレーニングがあったことが前提だが。

こういった現状を見ると日本も若干アメリカのようになってきたのかなあと思う。まあこれも時代の流れなのだろうと言えばそれまでだが、どうしてもカタカタの名前や見た目の違いを目の当たりにすると、素晴らしい記録を出してもどうしても素直に喜べない自分がいることも事実なのだ。

こういうことを言うとすぐに”差別だ”と騒ぎ立てる人がいるが、決してそうではない。歴史的に日本人と言えばほぼ同じ人種や民族だったわけだから、見た目が異なるものを同じ日本人として受け入れることが自然にできないだけだ。これはある意味日本人にとっては他の欧米諸国と比べたら特有のことだと思う。ヨーロッパ諸国を見ればアフリカ系の代表選手は普通にいるし、そもそも私たちからして普通に同じ白人系に見える人でも民族が違ったり混血が進んだ人たちが多い。

念のため言っておくが差別をするとはあからさまに相手に不快な思いをさせたり相手の社会的な地位を貶めるようなことをすることだ。例えば、ハーフ選手でありながら日本国籍の選手に対して、「日本人じゃないから」などと相手に伝わるように言ったなら、それは差別的な発言となる。そうではなくて、意識の上で日本人のようには見えないと思うことは何ら差別ではない。自然に感じる当たり前のことだ。

今では小学校や中学校のクラスに一人二人外国系の子供がいることも普通であるようだ。多分今の子供たちや若い世代はまた私の世代とは意識が違っているのだとも思う。

見た目からして日本人じゃないじゃんと言う意識があるから、好記録を出したハーフの日本人選手がいても素直に喜べない現実はある。これはこれでしょうがないこととしても、時間をかけてそういった意識はだんだん薄まっていくのだろうと思う。

今までのスポーツ界では日本人だからこそ世界に勝った時に大いに称賛されたという現実があったと思う。ここで言う日本人だからというのはもちろん国籍が日本人であることは言うまでもないが、見た目が日本人である、言い換えれば純粋の日本人であると言う点がそもそも当たり前にあったのだと思う。

例えば欧米人やアフリカ人に比べて体格的に劣る日本人が彼らに勝てた時に大いに沸いたのではないかと思う。どちらかと言うと日本人は常に挑戦者だった。もちろん今でも挑戦者である立場はあまり変わらないが、体格が小さな日本人の挑戦のような意識が誰にもあったと思う。

そう言ったある意味身体的なハンディーがあることが暗黙の了解の内にあったのが今までの日本人のスタンスなのかなあと思う。

だからこそ、ああ身体能力が高い血が入っていれば、そりゃ強いよな、いい記録が出るよなと思いがちなのが私たち日本人なのだとも思う。

こういった混血の日本人選手がスポーツの世界で活躍していくことは今後さらに増えることになるだろう。その中で私たちの意識も自然に変わっていくのだろうと思う。

ただ、一つだけ注文を付けたいのは、混血により見た目こそ変われど日本人らしさは失ってはいけないと思うことだ。最終的には見た目なんかより日本人としての誇りある振る舞いやそういったことの基となる精神が大切なんだと思う。競技の結果や能力よりも重要な部分が残って行きさえすれば混血が進もうが日本人としてのアスリートはこれから先も残ると思う。例えば米国の100m代表を見れば全員いわゆる黒人だ。日本だってあと数十年後には黒人系の選手だけになっているかもしれない。そうなったときに、それでも日本人だと思える点は見た目などではなく日本人としての精神だとか誇りを持てるふるまいだろうと思う。

もっと言えば、オリンピック日本代表選手に黒人系のアスリートが増えている頃には、何もスポーツ選手に関わらず混血の日本国籍者が増えていることだろう。そうなったときに日本人選手ってどんな選手なのか、そもそも日本人てどんな人なのかが無ければおかしな集団になっていくと思う。日本人としての誇りがなくなったら国の代表と言う意味合いもなくなっていくのだろうと思う。

実際、日本人としての誇りとか日本人らしさとかいうものが薄らいでいることの方が危ういなあと思う。純粋の日本人(外国の血統が含まれていない日本人)である自分たちがどれほど日本人足りえているか自問したらいいと思う。ただ日本語だけしゃべっていても、果たして本当に日本人と言えるかどうか。ただ日本に住んでいて日本語をしゃべっているだけで日本人と言えるだろうか。日本の良さだとか、日本の文化や伝統を知っていて、誇りを持った振る舞いができているだろうか。

日本的な価値観や文化を日本人よりも自覚していて、それを愛している外国籍の人たちもいる。見た目は日本人ではないが日本国籍で、やはり日本の文化価値観を愛して深い敬意を示している人たちもいる。こういう人たちは純粋な日本人なのに日本的なものを自覚していない日本人よりもはるかに日本人だと言えるように思う。

身体能力的に優位に立つがゆえに外国系の日本国籍の人はスポーツの世界では際立ってしまう。何度も言うがそれは仕方のないことであって、別に非難すべきことでは全くない。もし表立って非難すべきことがあるとすれば、それは外見から来るものではなくて内面的なものに根差したことだ。

日本人としてはあり得ない振る舞いだとか、精神だとか・・、そいうものがあるのであれば日本人としておかしいだろうと非難したらいい。問題は、果たしてそういうことが堂々と言える日本人がだいぶ減ってやしないかと言うことだ。

地政学的にも歴史的にも混血が進まなかった日本人が、グローバル化の中で今短期間で混血が進もうとしている。そして、これからさらに加速していくと思う。スポーツの世界においては身体的能力の違いからその比率が顕著に表れてしまっているのが現実だ。

今こういう機会に際して、日本人とはどういうものかということをしっかり考えないといけないと思う。実際考えただけではあまり変わらないとは思う。教育を通してこういうものは学んでいかなければいけないと思う。

日本人とはどういうものかが薄らいでいき、ほとんどそういうものがないまま進めば、単に日本に住んでいるから日本人、日本語をしゃべるから日本人だけの薄っぺらい人たちの集まりにどんどんなっていくと思う。

近い将来日本代表選手は海外の代表選手と見た目が変わらなくなるかもしれない。そうなったときに、代表選手にも一般の日本人にも、日本人らしさと言うもがなくなっていたらいったいどこに日本と言う国を代表する価値が残るのだろうかとも思う。見た目が変われど日本人として共通した価値観などの内面的なものが受け継がれて残って初めて日本人として選手にも一般の人にも一体感が生まれるのではないかと思う。

最後に、もう少し踏み込んで考えたいことは、果たして強ければいいのかと言う点だ。前述した通り、スポーツの世界では競技能力が高いものが勝つ。強ければ勝つのだ。これは競技スポーツである以上絶対で世界共通のルールだ。

しかし、ここで日本人にとってのスポーツについて考えた時に、日本と言う国では強い選手がいやおうなしに絶対的に称賛される国なのかということだ。もちろんそうではない。海外でもそうではないが、日本はとりわけ、強さと同じくらい、もしくは強さよりも礼節とか、心の部分が重んじられてきた歴史があると思う。そもそも、強さを競い合い優劣(順位)をつける文化ではなかったことも事実のようだ。○○道などと言われる競技、例えば相撲道、剣道、柔道などと言うものはそもそもスポーツ競技と言われるものではなく勝ち負けよりも礼儀を重んじるものだったと聞いたことがある。武士道もそうで、そこには強さよりもはるかに誇り高い精神があったのだと思う。ヨーロッパにも騎士道と呼ばれるものがあるから別に日本だけというわけではないが、日本人としての誇りと言うもが、競技能力よりも重んじられたことは確かだと思う。

こういったことを考えると、日本人にとっての競技スポーツとはいったいどんなものなのだろうかということも考える必要があると思う。

競技スポーツであるがゆえに、強さが絶対的になっている世界基準があることは事実だ。だからこそ、強い者、勝者が常に注目され称賛されるのが当たり前で疑いの余地がないものとなっている。

でも、日本人であればこそ、そこらから少し視点を変えて、スポーツ競技を見ることも必要なのではないかと思う。強ければいいってものじゃないと言うことだろう。

あれこれと、日本人としての誇りなどと言う点に触れてきてしまったが、そんなこと言ったって、そんなこと時代遅れだとか、そもそも競技者にそんな意識が無ければ仕方のないことだろう言われるかもしれない。

まあ実際そうだと思う。競技者自身強ければよい、強くなりさえすればよいと思っている人は多いと思う。強ければ金になるとか、プロスポーツ化している現代では強さこそ一番だと言うことが常に付いて回る。国籍を変えればオリンピックに出れるから国籍を変えようと言う考えも同じようなものだ。

そこには日本人としての誇りだとか価値観はもはやないと思う。ただ、こういう傾向が続けば、将来どこの国で代表選手の座を勝ちとっても同じだろうと言うことになって来やしないだろうか。

そうなったら、一般人として国際的な競技スポーツを見たとき本当に楽しいのだろうか。国別で争うのなら、その国の精神とか国柄と言うものが無ければやっぱりつまらないもになってしまうのではないだろうか。

Chain Reaction Cycles

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