栞の恋 世にも奇妙な物語 時空を超えた手紙のやり取り

世にも奇妙な物語の ”栞の恋” という話は思いがけず感動的な話だった。

世にも奇妙な物語なのでこの話も20分程度の物語だが、特に最後の方の話の展開には心が動かされる。

ネタバレになってしまうので見たことがない人はまずは動画を見てみてください。

以下に少し最後の方の場面をテキストにしてみた。

邦子:「この人今どこにいるんですか。この店によく来る人なんでしょ。私会いたいの。」

書店主:「会えないよ。その作者はね20年以上も前に死んだんだ。帯刀曜一郎はね、有能な学者だったんだけどね。神風って知ってる?彼は太平洋戦争末期の神風特攻隊だった。まだ24歳ぐらいだったろうか。フィリピン沖で連合軍の駆逐艦に突入してね、死んだんだよ。その本は彼が生前に残したたった一冊の著書なんだ。」

邦子:「そんなはずない。だって、私彼とずっと手紙のやり取りを、で、だって・・」

この後、邦子は本の中に手紙が挟まれていることに気づく。

時空を超えて

この帯刀曜一郎の手紙の内容が心に響く。時空を超えて手紙のやり取りをする。現実にはあり得ないことのように思えるが、もしかしたら本当に強い思いがあったならこういうことが起きてしまう可能性があるのではないかとさえ思ってしまう。

もしこういうことが起こるとしたら本当に強い思いに加えてもう一つ必要になるのが自分が死んでからも後世に残るモノにあるのではないだろうか。この話ではそれが帯刀曜一郎が書いた「本」だ。

彼のたった一冊の著書である本は彼が生きていた過去にも邦子が生きている今にも存在する。過去にいる曜一郎と現在にいる邦子をつなぐものだ。邦子からしてみれば過去に存在している曜一郎へとつながる入り口だ。

過去に生きていた著者の強い思いが込められた本には、著者が死んだ後にも著者が生きていたころに繋がる目に見えない入り口があるのかもしれない。

さらに言うと、1940年代では現代のように大量に本を出版することなどなかったろう。彼が残したのは唯一の著書である彼の研究書だ。しかも、彼のイニシャルが記された栞が挟まった本であったわけだから間違いなく彼が自分のものとして使っていたものだ。いわば彼の形見の様なものなのだろう。

何しろ現代とは比べ物にならないくらいものがない時代なのだから、彼の死後彼の思いが最も残っているものとしてこの本は後の時代に残ったのだろう。

邦子が初めてこの本を手にしたとき、7000円と書かれていた。古書で当時この金額だから相当レアなものであったのだろう。

しかし、例えそんな過去と現在をつなぐ入り口があろうとも、現在生きる人が強い思いで過去の著者を呼び出すようなアクションが無ければ、その入り口は閉ざされたままなのかもしれない。

結果的にではあるが、偶然にも邦子の勘違いから、本に挟まっていた”栞”にサリーを思う恋心からのメッセージをY・Kさん(帯刀曜一郎)あてに残した。これがこの入り口を開くきっかけになったのだろう。

邦子の恋心が、現実の世界で邦子が思っている人ではないY・Tさんへ向けられた。そして、Y・Tさんである帯刀曜一郎は研究者としてたった一冊しか残せなかった本に強い思いを残していたにちがいない。同時に特攻隊として命を懸ける自分に恋人ともいえる大切な人を求めていたのだろうと思う。

そう言った強い思いが偶然にも過去と現在を一直線んに繋げたことで起こってしまったのだろう。

スピリチュアルな世界になってしまうが、こういうことはごくごく稀だがあるのではないかと思ってしまう。

帯刀曜一郎の手紙

約20分のこの物語は初めの15分ほどは特段感動的な話ではない。しかし残りの5分ほどで全てが分かり物語の不思議さ人の思いの深さに心を揺り動かされる。

23歳の邦子の片思いの様子は、かわいらしさとか感傷的な気持ちなどに共感出来てそれはそれで見ていて楽しい。スマホにあふれた現代と自然に比較できてしまう点でも当時のやり取りにあこがれを持って見入ってしまう。しかし、何と言っても帯刀曜一郎の手紙の文章から伝わる心からの思いやりの気持ちがこの物語で一番心に響くことだ。

以下、帯刀曜一郎の手紙

” 漸く名前を教えてくれましたね。邦子さん。僕も會ひたい。しかし、いましばらくの間それは叶わぬこととなりました。あなたの家はご無事ですか。空襲は日々激しさを増し、いよいよ傷の癒えた僕も再び戦地に赴くこととなりました。

あなたとの短くも心躍るやり取り、とても楽しかった。とうとうあなたがどこの誰なのか、どうしてこの本に手紙を残せたのか、知ることはできませんでしたが、僕は必ずや無事にこの地に帰ってきます。その時こそ手紙を通してではなく、あなたと真にお會ひしたい。

僕にはこの戦争が無意味なものでした。しかし今は、あなたを守ると言う目的ができた。勇気を持って再び空に出ます。南の空に祈りどうか僕の帰りを待っていてください。

心麗しきあなたにいつか出会えることを、あなたに幸多からん事を、心より願う。

帯刀曜一郎

追伸:庭に金木犀の花が咲きました。この香りがあなたに届きますよう、共に送ります。”

この文章は本当に優しさが溢れている。彼がこの時既に特攻を自覚していたのかどうかは分からない。

彼にとって無意味だったこの戦争が、邦子を守ると言う目的ができたと言っている点で第三者としてはせめてもの救いになったように感じる。しかし、裏を返せば、それまでの彼には目的もなく命を懸ける自分の状況に悔しさや悲しみがあったはずだ。

彼は邦子の身を案じ、邦子に幸せになってほしいと言うこと、いつかで会えることを心から願っていると伝えている。これから戦地に向かう人のこれほどのやさしさはないと思う。

邦子にとってみれば、自分との手紙のやり取りが、曜一郎に戦地に赴くきっかけを作ってしまったのではないだろうかと解釈してしまえば、何としても止めなければいけないと言う思いに駆られたこともよくわかる。

曜一郎を止めようとした最後の栞は届かぬこととなったが、最後に邦子の悲しみを救ったのはやはり曜一郎だったのだと思う。

突然の悲しみに打ちひしがれて泣いている邦子を起こしたのは、金木犀の香り。追伸に込めた曜一郎の優しさだ。最後まで相手を思いやる気持ちに感動する。

この短い物語を通して、実際に戦争で命を落とした方々にこのようなことが起きていてほしいと本気で思ってしまう。もし帯刀曜一郎が実在の人物でこの話が本当だったら、本当に彼は救われたはずだ。

そしてこれは、今を生きる人が過去の人の助けになることができると言う素晴らしい要素を含んでいる。

手紙に見る漢字や平仮名の使い方の違い

帯刀曜一郎の手紙があまりに美しい字と文面だったので細かなところまで目が行ってしまった。そこで気づいたことが二人が使う文字の違いだ。曜一郎と邦子や20年以上の時代を隔てて手紙でやり取りしている。店主の話から曜一郎は24歳くらいで亡くなったと言う。そして、邦子は自ら栞に自分は23歳であると書いている。二人はほぼ同じくらいの年で、物語が1967年であること、そして、仮に曜一朗がいるのが1944年だとすると、2人の時間には23年の隔たりがあることになる。(特攻は1944年10月から1945年にかけて行われた)邦子は手紙を書いている曜一郎がいる1944年に生まれたであろうことも分かる。

この23年の隔たりで平仮名の使い方のルールなども大きく変わって行ったのだなということも垣間見られる。例えば曜一郎は「會ひたい」と書く。しかし、邦子は「会いたい」と書く、曜一郎が「貴方」や「貴女」を使い分けたりする点にも今とは違うなあと思える。

「会いたい」と書く邦子に曜一郎が違和感を感じないのだろうか?などとうぶなことは言うまいが、この20年少しの間の隔たりで、同世代の若者が使う字が違ってきているのだ。私の知り合いの方にも昭和10年ころの生まれの方がいるが、平仮名の名前に使われている字が今では使われなくなった旧字である人がいる。

今2020年とすると20年前の2000年と比べて使う文字に変わりはない。終戦を隔てて日本の教育が大きく変わったことの一つの表れなのだろうと思う。

だが、そんな違いは正直どうでもよいこと。5年ほど前終戦70年の2015年に靖国神社の遊就館を訪れたことがある。そこには若くして命を落とした若者たちの遺書が残されている。それらの文字もやはりとても美しく強い思いのこもったものだったことを思い出す。今年は戦後75年にもなる。帯刀曜一郎と同じくらいの人が存命でも100歳くらいになるはずだ。もう、太平洋戦争を戦った人たちの生の声は聴くことができない時代になってきているといってもいい。あと10年経てばおそらく誰も語り継げる人はいなくなるだろう。もう一度遊就館を訪れてじっくりと当時のことを知りたいと言う思いに駆られる。

物語の舞台は1967年の東京

映像から見える1960年代後半の東京の様子も私には魅力的に感じる。昭和42年、まさに昭和の真っただ中だ。東京オリンピックが1964年だから、その3年後だ。もう東海道新幹線が開通していることになる。

冒頭のシーンでは邦子が瓶入りのジュースと思われるものをふたを開けて販売している。100円札で支払われ、70円のお釣りを返している。三ツ矢サイダーなのだろうか。”ラムネ”が思い出されるが、いまだに販売しているところはあるのだろうか。駄菓子屋もたくさんあった時代だろう。

実家の酒店で配達の仕事をする23歳の邦子。グループサウンズが流行り出した時代、美空ひばり、60年代の街の光景。まだ私は生まれていない時代だが、とても懐かしく感じられる。

グループサウンズの時代

グループサウンズと言っても私は知らない。GSとも言うようだが、今ではそれはガソリンスタンドのように見える。60年代のグループサウンズがあって、70年代にフォーク、その後80年代にニューミュージックと言われるポップスの時代に変遷していくらしい。

邦子は近所で見かけた背が高い青年に恋心を抱き、ザ・タイガースのメンバーで背が高いサリーにちなんで心の中でサリーと呼ぶようになる。

このサリーが近所の書店に出入りすることに気づき、彼女も彼を追い書店に入るのだが、ここでちょっと面白いのが、書店主が実際のザ・タイガーズのメンバーであった本物のサリーこと岸部一徳さんが演じているのだ。物語の中で、邦子に「だってサリーが・・」言われて、「サリー?」と邦子に聞き返す辺りにはユーモアがある。きっと岸部さんのことを知っている世代には面白いことだろう。

もし邦子が実在していれば、現在は岸部一徳さんに近い世代だろう。

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