時代の変遷が車窓から見える飯田線 初めて全区間乗ってみた

仕事の所用があったので今回初めて飯田線を全区間乗る機会を得た。

今までは豊橋-豊川間しか乗ったことなかったのだ。

先日、掛川ー飯田をサイクリングしたときに飯田線付近を走っているのでその時感じた飯田線沿いの雰囲気を再体験することも少しできた。

今回も青春18きっぷが使える期間なのでもちろん使った。

駒ヶ根駅と木ノ下駅という小さな駅で下車する用事があったので前もって時刻表を調べた。

飯田線は時間がかかることは知っていたが、時刻表を確認することで改めて時間がかかることを実感した。山峡を縫うように進む単線だから時間がかかるとばかり思っていたが、そればかりではないことも知った。それは、駅の数の多さだ。驚くことに97もの駅があるのだ。特に山間部では1km~2km程度の間隔で駅が連なる。普通の感覚では、人口が少ない地域ほど駅と駅の区間が長く人口が多い地域ほど駅の数も多くなると思うのだ。しかし、飯田線は全くそうではない。

飯田線は時間がかかる上に本数も多くないので、本拠地の掛川駅を始発に合わせて出発する必要もなかった。始発で乗っても飯田線の起点となる豊橋駅では70分以上も待つ必要があるのだ。

だから今回は始発の次の電車で出発した。それでも、豊橋駅で50分以上は待ち時間があった。

豊橋駅に到着して分かったのだが、飯田線でも豊橋近郊の駅ではそれなりの本数が行き来しているのだ。例えば豊橋ー豊川間など、通勤や通学で多くの人の利用がある近場の駅までは何度も行き来しているのだ。

ところが、愛知県北部や静岡県北遠エリア、長野県南部の山間部のエリアは利用客が少ないのでそこまで行く電車の本数は極端に少なくなるのだ。

要するに飯田線を全区間通り抜けるように利用しようと思うと限られた本数しかないのだ。

豊橋駅の飯田線のホームで50分ほど待機していたが、その間に飯田線の電車が数本発着した。飯田線であっても豊橋近郊エリアだけは人の動きが多いことが分かる。

念のために駅員に駒ヶ根まで行くための電車を確認したが、早い時間の電車に乗っても何もない終着駅で駒ヶ根まで行く電車を待つ必要があるので、ここ(豊橋駅)で待機していたほうが良いとのことだった。確かに、この暑いさなか小さな駅で待っているよりはましだろう。

今回は輪行したため、なるべくロードバイクを置きやすい車両を探しながら電車に乗る必要があった。

車両の端の方にトイレがあるような場所の座席がない部分の窓際に長い手すりがある場所がときどきある。そこがロードバイクを置いておくのに都合が良い。丁度手すりにひもを巻き付けて倒れないように固定できる点もも使いやすい。

駒ヶ根に行くためには天竜峡行の電車に乗る必要があった。天竜峡と言う場所は飯田市の一歩手前なのでなぜこんな場所で乗り換える必要があるのだろうと思いつつ乗車した。

それなりの数の乗客がいたが、豊川市を抜けて新城市を過ぎると乗客が一気に少なくなった感じだ。学生や通勤客はそこまでで大部分が降車するようだった。

新城を過ぎるとやがて山間部を進む飯田線のイメージにある風景になって行った。ある程度飯田線の景色を見たかったことと、自転車の置き場の関係で一番前の車両に乗ったのだが、山間部に入って車内に残っている人の多くは旅行客のようだった。その中に4,5人はいわゆる”乗り鉄”という人たちのようで、常に辺りを気にしながら、動画撮影したり写真撮影していた。

そして、彼らは分厚い時刻表を携帯していることが共通点のようだ。単線なので時折、駅に停車してすれ違いの電車を待つことが多かったのだが、乗り鉄たちは必ず駅に降り立ち写真撮影していた。

私も少しは駅に降り立ってみたものの、2時間しか寝ていなかったのでその後車内で何度となく眠りに落ちていた。

気が付くと佐久間駅付近まで来ていたのだが、何とも到達感がない感覚に陥った。静岡を朝早く出発して愛知県の豊橋から電車に乗ったのに、また、静岡県入りしたからだ。

飯田線の特徴として、愛知県を出発して長野へ北上するのだが、佐久間と水窪付近だけ一部静岡県入りするのだ。

先日の掛川ー飯田サイクリング時にもこの近辺は通過したので、今自分が電車の中でただ座っているだけで移動していることにそのギャップのようなものを感じた。

水窪に来るとさらに、自分がロードバイクで走ったルートが間近だったので、どのようなルートを進んでいたのかやや遠めに見ることができた。

自転車で水窪を通過したときに、思っていたよりも随分と小さな町だと思ったものだったが、電車で見た風景から実際はもっと大きかったことが確認できた。と言うのは私が走った国道はかなり低いところを走っていたので少し高いところに多くの家があることが全く見えなかったのだ。

電車は道路よりも高い場所を走っているので道路からは見えない家並を一望することができたのだ。初めてここが水窪町の中心部なのだと実感することができた。私がその時立ち寄った”やまみち”という商店も電車から見ることができた。

水窪を過ぎると長いトンネルを一気に愛知県側に進路を取って一気に天竜川沿いに出る。

そこで、最初に出る駅が”大嵐(おおぞれ)”だが、ここから本格的な陸の孤島にある無人駅が連なる区間が続く。

何しろ、家がほとんど見かけられないような駅ばかりなのだ。中には全く家屋など見られず、乗り降りする人がいるのだろうかと思える駅もある。

実際ほとんど乗り降りすることはないのだが、その都度電車は止まる。駅近くに民家があっても空き家の様な家も多い。それでもやはり、人が住んでいる以上この飯田線は必要不可欠な鉄道だと言うことを実感できた。小さなトンネルがいくつも連なる区間も多く、開通工事は相当な苦労があったことだろうと思った。

この小さな駅々でごくまれに乗降客があったのだが、年配者ばかりだったと思う。改めて、飯田線の駅の数の多さが実感として納得できた感じがした。

終点の天竜峡に着いて初めて、ここが終着駅であることがな納得できた。

天竜峡と言うから山間地の不便な場所なのだろうと勝手に想像していたが、要するに伊那谷(伊那平)の入り口にあたる立地であることが、急に開けた地形から分かったのだ。さしずめ伊那谷の玄関口と言ったところだろう。

ここで20分ほど出発待ち時間があったのでトイレ休憩などを済ませて改札を出たが、ここは天竜川下りなどの観光スポットでもあるようだ。

天竜峡で今まで乗っていた乗り鉄たちとも散り散りとなったようで私は駒ヶ根に向けてまた進んだ。ここからは飯田市をはじめ伊那谷の中心部を通り抜けるので今までと風景はガラッと変わる。事実上私が想像していた飯田線のイメージは天竜峡で終わりと言ってよかった。

ここからはまた、学生や小さな子供ずれの親など街中で見られる夏休み期間の街中の電車の風景とさして変わりがないものだった。

駅数はそれなりにあるにはあるが、駅と駅の間隔も広まり、何よりも電車のスピードが増した。飯田駅付近は、前回のサイクリングでも走ったエリアで、電車で来たとは言え時間がかかる飯田線だけあって、ここまで自転車で来た自分が相当な距離を走ったように思えた。普通は電車で走ると意外とあっという間に感じるものだが、飯田線に限ってはそうではないのだ。

予定通り駒ヶ根に着いたので早速、ロードバイクを用意して用事を済ませにかかった。走行距離はたったの往復でも3km弱なので何のことはない。左ひざ付近をやや故障気味だったのであまり走りたくもない状況だったので丁度よかった。

途中で降った雨も止んで何とか持ちこたえてくれたのでありがたかった。予定通り無事用事を済ませて駅に戻ったが、駒ヶ根も飯田市のように伊那谷の中心的な街の一つだと感じられた。

Chain Reaction Cycles

木ノ下駅と箕輪南宮神社の大ケヤキ

予定通り進んだので次の目的地である木ノ下駅を目指した。伊那市を過ぎたあたりにある駅だ。ここでも同じようにロードバイクに乗って3kmほど走る必要があったので同じことをしたのだが、ここでハプニング発生だ。

どうにもお腹を下してやばい状況になったのだ。木ノ下駅を降りたものの完全な無人駅で東屋の様な駅舎があるだけでトイレもない。駅前広場なんてものもあるわけでもないが幸いタクシーが一台止まっていたので、その運転手さんにトイレはないか尋ねることができた。

親切にもその運転手の方はタクシーを降りて、すぐ近くにある神社の境内にある建物内にトイレがあることを教えてくれたのだ。

ロードバイクは輪行袋に入れたまま駅に置き、徒歩150m程度の神社に歩きトイレで用を足すことができた。

駅からは全く気が付かなかったのだが、この神社には巨大な木が数本ありその迫力はものすごいものがあった。一応このトイレに助けられたので神社に向かってお礼の祈りをした。

境内にある巨木のケヤキの一つ。バックパックを置いて写真を撮ってみたがこの通り、バックパックが妙に小さく見える。

駅に戻るとまだ先ほどのタクシーが停まっていたのでお礼を言うと、無事トイレの場所が分かったかと声をかけてくれたため少し会話を持った。

同じように大きな木がある神社がまだ近くにあるそうだが、本当に一見の価値があるほどの大木だったのだ。大木は欅(ケヤキ)だそうだ。私の地元にもけやき通りと銘打った通りに、たくさんのケヤキが植えられているがが、とても同じケヤキとは思えなかった。こじんまりとした木ノ下駅の駅舎からは想像もできないほどの迫力だと思えた。神社は箕輪南宮神社ということが分かった。さらに、このケヤキの巨木は新日本名木100選に数えられているとのことだった。

※新日本名木100選によると私が境内で見たケヤキよりもさらに大きなケヤキが近くにあったようで、それが実際には100選に入っている木だった。幹周り10.35m、樹齢約1000年だと言う。

それにしても、タクシーの運転手さんの飾り気のない親切さはありがたかった。別れ際にポケットティッシュをくれたが、その広告から伊那:みのわタクシーであることが分かった。タクシーに乗ることは私にとってはまず考えられないことだが、もし利用する必要があるならこのタクシーを利用したいものだと思いだけは残った。

ここでも予定通り用事を済ませて駅に戻りバイクを収納して電車を待つ。駅で電車を待つのは他に高校生2人だけだった。

これで今日の用事は済んだわけだが、今回は帰宅せず今日中に米原駅に到達する必要がったので、あとは予定通りの時間に電車を乗り継ぐだけだった。さしあたってポイントとなるのは塩尻で名古屋行きの中央線に確実に乗ることだった。

天気予報では局地的に大雨になると言う情報があったので、それだけが心配だった。天候によるダイヤの乱れだけはどうにもならない。

今回飯田線の全区間乗ってみたが、やはり天竜峡までの無人駅区間の風景は一度は見る価値があると思う。

限界集落という言葉があるが、大嵐ー天竜峡区間の駅の光景はまさにそのような環境を感じることができる。

天竜峡手前までの区間から飯田市外へ抜けるまでの移動は、あたかも時代が数十年動いたかのような情景を見るかのようでもある。

山間部の無人駅が連なる区間で見かけるわずかながらの家屋は、築数十年というものばかりだろう。間近で見える家には明らかに空き家になっているものがあることも分かる。しかし、その土地に住んでいる人もいるわけで、現代の様な豊かさは到底感じられない場所だが、飯田線が生活にかかる重要な交通手段であることも感じ取れる。

天竜峡を抜けて飯田市街へ近づくほどに、周囲の光景は明るくなり風景が一変する。建物を見てもまさに現代の風景そのものになり、もちろん人の活気も出てくる。

飯田線のこの区間はまさに数十年の時代の移り変わりを凝縮したかのようなものを風景から体験できると思う。大都市の生活しか知らない人は一度乗ってみると良いと思う。

ちなみに、無事に岡谷を経由して塩尻に到着して、電車の遅れもほとんどなく、中津川行の電車に乗ることができた。

名古屋経由で無事最終便で米原に到着することもできた。

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