掛川ー飯田 サバイバルの復路

22時半過ぎに飯田市を出発。

あいにくの雨だがずぶぬれになりながら帰るしかない。

帰り道は151号を取ることにした。もちろん初めての道だが途中におそらく新野峠があるだろうことは予想していた。

どちらかと言うと下り基調で進み1時間半走ったところのファミマで休憩した。どうにもテールライトの明るさがおぼつかないようなので、乾電池を購入したのだ。電池を探すのも手間なので店員に声をかけて案内してもらった、ずぶ濡れの体で店内の床を濡らしてしまったことはさすがに申し訳ないと思い謝ったが、雨だからしょうがないことですと返してくれた。人柄からしても人手が足りないコンビニ業界からしてもこの時間のスタッフは店長だろう。ライトが明るくなったところで後方は気にせずに走ることが出る。

最初の内はそれなりに行き来する車があったが12時を回り進むにつれて車はほとんど通らなくなってきた。

相変わらずまとまった雨は降りしきり、体温を奪われることなく峠を越えられるだろうかと不安にもなって来た。豊橋まで130kmなどという標識を見るたびにまだまだ山道は続くなあと思いながら進む。

初めての道で真夜中なので自分がどの位置にいるのかおおざっぱに死か分からない。本格的な山道になってくると街灯もなく、前方を見る分にはライトで照らされているので路面やある程度の景色が分かるが、振り返ると真っ暗だ。黒一色でまるで暗黒の世界が広がっている。おそらくライトを消したら真っ暗闇になることだろう。雨は一向に止む気配が無くまとまった雨のままだ。

新野峠を含む下りで低体温症状に

南に進んでいるはずなの上りが長くなってきた。そのうち、トンネル手前に標高562mと書かれていたのが分かった。トンネルを越えてもさらに上り進む。雨が降りしきる中これ以上標高を上げて気温を下げたくないところだが、さらに上らされる。

やっと上り切って下りに入った。峠名が確認できなかったが帰宅してから確認するとそこが新野峠だった。標高は800m台だろうと思いきや実際には1060mあった。

そして、最悪だったのがこの峠を含む長い下り坂で完全に体温を奪われてしまったのだ。上りの途中にあった気温表示は17度だったので最高点でも15度程度はあるだろうと思う。下り切っても気温は18度程度はあるはずだが、全身濡れていると相当に体力を奪われるようで、低体温症のようになったようだ。もはやこれはやばいと言うレベルに達してきていて、この先に道の駅があることが標識から分かったので何とかそこに到達すべく下った。

辛くも道の駅にたどり着くとすぐにトイレに入った。用を足したかったわけではなく、トイレの便座の熱で体を温めるのだ。まさか便座で手を温めるようになろうとは思わなかったが、それほど危険な状態だったのだ。

震えが止まらず手は真っ白で寒くてどうしようもない状態だった。着替えられる服もなく、バックパックもレインカバーは付けていないので中の衣類は全て水を吸っている状態だ。自販機のホッとドリンクを購入して暖も取りたかったが、もはや外に出て自販機まで行くような元気はなかった。それほど冷え切ってしまっていた。

2時間ほど経ったころだろうか、危険な状態を脱したのであとはどう帰ろうかという方に頭が回るようになってきた。とにかく雨は帰るまで続くはずで静岡入りするころには気温は22度以上にはなるはずなので大丈夫だが、今現在まだ冷え切っている体では、現在の気温で走り出したいとは到底思えなかった。水分を多量に含んだものは脱いで上は半袖ジャージ一枚だ。もちろん濡れている。天気予報だと現在地の気温は7時台にならないと20度に達しない。降水量が0mmになるのもそのころだ。

だがさすがにそこまで待つわけにもいかず、5時過ぎ位に意を決して外に出たところ、運よくほとんど雨は上がっていた、が、しかし寒くて体が震えて全くダメだ。

一旦トイレに戻り、よくサービスエリアなどにある折り畳み式のロードマップの置忘れがトイレにあったので、それをジャージの前側に入れて防寒対策を施してみた。とりあえずこれで前方の外気をシャットアウトできるはずだ。新聞の方が温かいのだが今はそんなことは言ってられない。

再度5時半ころに外に出て今度こそ再スタートした。目指すは約17km先にあるファミマだ。そこまで雨が降らぬよう祈るばかりだった。

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バイクシューズ本体とソールが分離した

ロードマップはしっかりと全面の風を遮ってくれて助かった。下り基調が続いたが、ロードマップのおかげで何とか走れた。

とにかく17km先にあるコンビニでレインコートを買い求めるのが目標だった。17kmをカウントダウンするかのように走り、何とかコンビニに到着してほっとしたが、ここでまた災難に遭った。

何とシューズが壊れてしまったのだ。シューズとソールが分離してしまったのだ。バイクを降りるとペダルにはソールだけがくっついている状態だ。

ソール裏の表情はウォーズマンがマスクを剥がされたときのように感じる。赤と黒のカラーもまさにそれを想像させる・・・コーホーと聞こえてきそうだ。

ソールと分離してみるとよくわかるが大部分の重みはソール部分にあることが良く分かる。

愛知県入りしたとはいえまだ100km以上残っている。レインコートで寒さの心配は無くなり、気温も少しずつ上がっていくので問題ない。

分離したソールの上にシューズを乗せてペダルを回すしかない。ダンシングに気を付けながら、安全に進むしかない。

151号を南下し続けると新城市へ入ってしまうので途中でルートを左に取り佐久間へ抜けることにした。山道を走るのはシューズが壊れた状態では無理があったが、交通量が多いところは避けたかったのだ。

佐久間林道のサバイバル行脚

途中で飯田線が近くを走っていたが、そのまま進むと佐久間市街に出るようだったので、グーグルマップにしたが林道を行くことにした。その通り行けば往路で取った152号の佐久間の南の方に出るはずだった。(帰宅してから気づいたことだが、佐久間市街に抜けたほうが遥に良かった。普通に車が走るルートを行けば、山中を2時間も3時間も彷徨う必要は全くなかった。)

本格的な上りに入り、もはや壊れたシューズと今の体力では上る気が起こらず歩くことにした。こんなことはサイクリング中初めてだがもはや仕方がなかった。歩いてもスピードは変わらないだろうと思ったが、いざ歩いてみると、体力が消耗している上に、雨水を吸ってはるかに重量を増したバックパックの重みもかかり思っていたよりはるかに遅い足取りだった。

途中で分岐があったて迷ったが、インターネット接続県外でマップ機能を使えず、左道を進んだ。おそらくこれがハズレで右を取っていたほうがスムーズに進めたようだ。

そのまま延々と山の中の上り道を進む。概ね上りだが時々下りがあるが下り切ると沢がありまた山に沿って上ることの繰り返しだ。

そんな道中びっくりしたのだが、民家が表れたのだ。それなりに立派な古い家だったが住んでいないようだった。ただ、家近くにある小さな茶畑には刈られた跡があったのでここに人が来ていることが分かった。

こんな山の中に一軒だけあるのも驚きだが少し先を見ると年配の女性が立っていたのでまた驚いた。手に鎌を持っていたので農作業中のように見えたが、私の方を遠目に見るので、こんな場所を自転車を持って歩く人も不審だろうと思いやや離れたところから挨拶してみたが聞こえていない様子だ。近くに来て再度、「こんにちは」と挨拶すると「おはようございます。」と返ってきた。ただ耳が遠かっただけだと分かったが、それよりもはっとしたのが、まだ朝方だと言うことだった。夜通しで移動しているため時間感覚が既に午後になっていた自分に気が付いた。

話による今日草刈の予定でここに来たが来る予定の人が誰も来ずに困っているとのこと。私の接近に遠くから注意を払っていた理由もそれだったのだ。100m程度話しながら一緒に歩いたが、年齢も80代半ば過ぎのように見えて、息切れもしてるようなので立ち止まってみた。○○まで行ってそのまだ来ていない人に電話を掛けると言うので、スマホを貸してあげた。その婆さんもここは電話はつながらないはずだと言っていたが、幸い一時的に通話圏内になっていたので、教えられた電話番号を入力して貸して上げた。最初のうち困ったのが、電話番号を教えてくれと言うと、市外局番を言わないのだ。高齢の方にはよくありがちのことなのだが、形態ではそれなしには通じない。何度か市外局番を説明するもどうも通じない。幸なことにこんな山奥でもここが浜松市であることから、市外局番を知っていた。試しに入力すると幸い繋がったので婆さんにスマホを渡。しばらくでなかったが何とかつながった。婆さんによると今からここに向かうとのことで事が解決してよかった。思わずこんな山中で人の役に立てて良かった。電話が終わった時の婆さんの顔もほころんでおり私もうれしかった。婆さんは家まで戻って休んで人を待つと言い、私も急ぐのでそのまま挨拶をして別れた。無事草刈が済んだことを祈る。

婆さんと別れてさらに進むとすぐのところに2,3軒ほど民家が連なってあった。ここも無人ようだが、婆さんのように時々来ては草刈りなどの管理をしているのだろう。それにしてもとんだ場所に民家があるものだと改めて思った。

さらにここからがまだまだ長く、上りは歩き、若干の平坦と下りだけバイクに乗ることの繰り返しだ。特に一睡もしていないことと体力の消耗が激しく、食料も持っていなかったのでかなり危険な状態になっていることを感じた。とりあえず道があるので道に迷うことはないが、問題はエネルギーがもつかどうかだった。

途中で目の前を見事な鹿が横切った。実はサイクリング中に日本鹿を見るのは初めてだった。ニホンカモシカは何度もあるが、大きな日本鹿は色もきれいで見事だと思った。とは言え鹿に因る農作物や樹木などへの害は多いようで、道路脇の木の皮が剥ぎ取られているのも鹿の仕業なのだろう。爪でそぎ落とされた跡があればそれは熊だが、剥ぎ取ったような跡は鹿だろう。

ただ、昨日飯田市の方と話したのだが、山にはクマは普通にいるよと言うのだ。その方は釣りやキノコ採りで山に入るとのことで、クマについて聞いてみるとそう答えたのだ。だから実際今回の様な山道では一応クマが出る可能性も頭から離れなかった。

ただ、疲労感で意識も若干低下して来ると恐怖感もやや薄れるようだ。今クマと鉢合わせたらどう対処しようかなどと考えることすらめんどくさくなってきてしまうようだ。

本当に山中だったのに道横に突如 ”神妻神社” と言う神社が現れたこととさらに行ったところの道の斜面に、もちろん杉の木で覆われた中に墓があったことにも驚いた。昔はこの近辺に集落があって人が住んでいたことの証拠だ。

とにかく自転車を押して歩くことさえしんどくて何度か立ち止まりながら進むことの繰り返しだった。ウォーターボトルの水が僅かになってきていよいよ不味い状態になってきたが、途中の表示でこの林道の起点まで7km以上あることが分かった。最後は天竜川に向けて下るはずなので上りはせいぜい3kmほどだろうと予測は付いた点で安心できた。

さらに進んでやっと向かいの山肌の下の方に家が見えたので天竜川に近くなっていることがはっきりした、その後何かが稼働するような音も谷間から聞こえてきた。ついにあとは下るだけであろう分岐まで来たが、ここでもまた迷った。そして相変わらず圏外でスマホが機能しないのだ。

標識を見ると左方向だけ行き先が”半場”と書いてあるのだ。そう言えば、先ほど会った婆さんが”ハンバで下った方がいいね。分かりにくい場所だけど。” と言っていたのを思い出し、なるほどここのことかと思ったが、どうにも確証が持てない。分岐にはこの林道の完成を記念した石碑もあったが、何ら方向を示す手掛かりにもならず自分で判断せざるを得なかった。婆さんの言葉を信じたい気持ちもあったが、私の勘では右なのだ。とにかく今の体力では判断ミスは命取りともなりかねない状況なので一旦座り込んでしまった。座り込んで分かったのだが、何でこれほど疲れているのに今まで座って休憩をしなかったのだろうと、自分の行動の滑稽さを思った。

先程民家が見えた方向も確かに左ルートの半場方向なのだが、やはり私としては右ルートを選ぶことに決めた。婆さんを裏切るようで悪いが、最終判断は自分が信じる方を取るしかない。

長い下りが始まり、ここを引き返す体力はもはやないなと思いながら下った。かなり下ったところで、山肌に民家が見えたので安心した。さらに下ると往路で通った国道の景色も見えたのでさらに安心できた。

下り切ったところで陽も差してきて体感気温が上がった。完全に下界に来た感覚であとは天竜川を南下するだけだ。

とりあえずは自販機で糖分補給をすべく缶コーヒーを飲んだ。最近いつものことだが、飲んだ後後悔した。どうにも缶コーヒーを飲むと飲んだ後に買うんじゃなかったと毎回のように後悔するのだ。ここ1年くらい缶コーヒーは飲んだ後後悔する飲み物になっている。後味が悪いと言うか、飲む前に体が欲求している暖かくて甘い味への想像が、飲んだ後に見事に裏切られるのだ。

往路は楽だったと思った道も帰り道走ってみるとやはり往路は緩やかに上っていることが分かった。体力が消耗していると若干の下りでもきついものだ。また、復路で向かい風のように往路では追い風の上緩やかに上っていたのだろうと思う。

天竜二俣まで来て遠鉄スーパーのイートインで弁当を食べた。バイクスタイルのままスーパーに入るなど抵抗感があるものだが、今回は全くお構いなしだ。

エネルギーを回復した上で残りの30km余りを走り切って無事に帰宅した。

とにかく今までになく消耗したサイクリングだった。

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