最も勇敢な自転車ロード選手クリストフ・バッソン

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クリストフ・バッソン(Christophe Bassons)という人を知っているだろうか?

ロードバイクが好きな人の中で、もし彼を知らないのであれば、私は誰よりも彼のことを知ってほしいと思う。

彼は元プロの自転車ロード選手でツールドフランスも走っているフランス人だ。

なぜ彼が有名になったのかと言えば、彼の選手としての実績ではない。彼はドーピングが蔓延するプロ自転車ロード競技界において断固としてドーピングを拒否する姿勢を貫いたからだ。

しかし、彼のそのスポーツマン精神が世に知られることとなったのは彼が引退して10年以上も後のことだ。彼はその頑ななドーピング拒否の姿勢が故、結果として27歳の若さで引退に追いやられることとなる。彼は自転車プロロード界から抹殺されたのだ。

クリストフ・バッソンの真実が世に知られることと同時に、その名声が地に落ちたのがあのランス・アームストロングだ。2012年にUSADA(米国アンチドーピング機関)による調査報告とアームストロングの告白により、どれだけドーピングが暗躍しているかが明らかになった。

クリストフ・バッソンとアームストロングに関する過去の話を以下に記してみよう。



1998年はイタリアの生粋のクライマーマルコ・パンターニがツールドフランスに優勝すると言う話題と同時にドーピングが話題になった年だった。ツール開催期間中に強豪チームのフェスティナが組織的なドーピングをしていることが発覚してレースから排除されたのだった。選手たちが抗議の意味でレースを中断して路上に座り込みをしたステージもあった。

98年のフェスティナには95年のツールでインデュラインに次ぐ総合2位、96年タイムトライアル世界チャンピオン、前年までヴェルタを2連覇しているアレックス・ツェーレや前年ツールで総合2位でしかも前年までのツール4年連続山岳王のリシャール・ヴィランクといった総合優勝を狙える選手に加え、ステージレースでは常に上位に食い込むローラン・デュフォーや前年の世界チャンピオンであるローラン・ブロジャールもいた総合力では参加チーム中最強のチームだっただろう。このチームがレース開催中に主催者から追放されたのだから、その衝撃は大きかった。そして、こんな最強のチームの一員だったのがまだ若きクリストフ・バッソンだったから、彼がいかに有望な選手だったかが分かるだろう。


当初はチームによる組織的ドーピングとみられ選手、スタッフ全てが追放された。しかし、1か月後に発表された仏紙によると、チームメイトによる警察への証言でクリストフ・バッソンだけはドーピングをしていなかったことが分かったのだ。若きバッソンはドーピングをしていなかったにもかかわらずレースを去ることになったのだ。

そして、翌年の1999年のツールドフランスは最もドラマチックなものだと誰もが思った。1996年のアトランタ五輪の後に脳にまで転移した癌が発覚して1年にも及ぶ闘病生活を送ったランス・アームストロングが奇跡ともいえるツール優勝を成し遂げたのだった。この出来事は自転車ファンのみならず全世界に感動を与えた。とりわけ癌患者をはじめ難病と闘う人々にとって大きな力となったはずだ。

1993年、初参加のツールドフランスのステージ優勝、そして、その年の自転車ロード世界選手権では21歳の若さで優勝するほどにアームストロングは強い選手だった。順風満帆の競技人生を襲ったのが致死率10%とも言われた癌だったわけだが奇跡の復活。癌になる前もツールやジロ、ヴェルタと言ったグランツールと呼ばれる長丁場のステージレースの総合優勝を期待される選手ではなかったが、アームストロングはこの後、ツールドフランスに勝ち続け2005年に前人未到の7連覇を達成して引退する。まさに彼は自転車競技会のチャンピオンとして終わった、かに思われていた・・

 

映画のようなストーリーが起きた1999年のツールドフランスにおいてクリストフ・バッソンはどうだったのか。彼は母国のフランセーズチームの一員としてツールドフランスに出場していた。1999年のツールドフランスはドーピングから生まれ変わるべき年でもあったのだ。

ところが、そのツールドフランスで本当に起きていたこととは信じ難いことだったと言うことが、2012年のUSADAの報告、アームストロングの告白、他の選手からの証言、そして、クリストフ・バッソンの話などから明らかになったのだ。

99年のツールドフランス、サインを求めるファンに笑顔で応えるバッソン。しかし、内心は沈んでいたのだろう

前年のツール期間中に起きたフェスティナのドーピング騒動で唯一ドーピングをしていな方バッソンはメディアからも注目され、現役選手としてコメントを求められるようになっていた。ドーピングすることに同意するなら27万フランの月収アップするとのオファーを彼は断っていた。その金額は当時の彼の月収の10倍にも相当するそうだ。99年のツールでは平均時速が著しく速くなっているのはドーピングによる影響だと彼はコメントするなど、ドーピングに関してコメントしていた彼はとうとうツールドフランス自体から締め出されることになる。要するに前年に問題になったドーピング問題は全くなくなるどころか、バッソン以外のほとんどの選手が手を染めていたような状況だったことが分かったのだ。

決定的になったのか99年ツール第10ステージセストリエールからラルプデュエズに向かうステージだ。百数十人いる選手に最初の100kmまではスローペースで行くことが知らされていたが、バッソンだけには知らされなかった。この行為自体既に八百長だ。アームストロングを要するチームを中心とした買収工作と言うわけだ。ドーピングのことで騒ぎ立てるバッソンに対して誰も口を利かなかった。彼のチームメイトさえそうした。そして、たまたまこの事実をバッソンはチームのメカニックから聞くと、事態にうんざりして最初からアタックすることにしたのだ。

しかし、彼のアタックは平坦区間で集団が一丸となって追いつきブロックされてしまう。そして、そこにマイヨジョーヌを着たアームストロングが来てバッソンの肩をつかむと、「お前のやっていることは間違っている、お前はプロの自転車選手に値しない、今すぐやめろ。今からツールを去れ」と恫喝的なことを言ったのだ。

ドーピングのことをとやかく言うバッソンがどれほど疎ましく思われ、ほとんどいじめ状態だったことが分かる。背景にあったのは組織的なドーピング隠しだったのだ。バッソンはドーピングがあることを声を大にして言っているが、そんなバカなことはあるわけないじゃないか、と言うのがアームストロングや他の選手の言い方だ。

バッソンは一緒に走っているチームメイトも含め誰からも口をきいてもらえない、無視された状態に置かれる。精神的にも追い込まれ夜も熟睡することができなくなったバッソンは失意のうちにツールを途中棄権することにした。

翌年以降バッソンはより小さなチームに移籍していたが、彼に対する執拗な締め出しは続き、フランスのダンケルク一周レース(フランス北部の4日間のステージレース)で走行中に数人の選手に溝に追いやられる危険な目に遭わされ、これ以上レースを続ける価値はないことを悟る。

それにしてもなんて汚いやり方だろうか。憤りを感じるが、それだけドーピングが蔓延していて、ドーピングする行為を守ろうをしていたことがうかがえる。ドーピング常用者のボスとしてアームストロングがツールをコントロールしていたわけだが、自転車界全体的にはもっと組織的なドーピングコントロールが敷かれていたのだろうと思う。かなりのお金が動いていたのだろうと思う。

バッソンは苦い思いのまま引退するが、彼の名誉が回復するのは10年以上後のことだ。

Chain Reaction Cycles

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